2014年8月6日星期三
<広島原爆の日>祖父が被爆した「8月6日」…孫も生まれた
福井県遺族代表として平和記念式典に参加した福井市の高校教諭、佐々木克己さん(57)は「8月6日」という日付に特別な思いを抱いている。昨年、88歳で死去した父勇さんが被爆した日であり、一人息子の涼真(りょうま)さん(21)の誕生日でもあるからだ。佐々木さんは今年、勇さんの死をきっかけに初めて記念式典に臨み、「縁(えにし)を感じるこの日に父の『戦争はよくない』という言葉に思いをはせたい」と祈りをささげた。
【核の残酷、人の強さ】爆心地から500メートル圏内で被爆した人たちの声
69年前の8月6日、陸軍兵士だった勇さんは爆心地の南約3・5キロで被爆した。資材や燃料を埋めて隠す作業をしていたという。「突然、背後から強い光が差したかと思うと爆風で倒された」。勇さんは生前、こう語っていた。
勇さんに大きなけがはなく、近くの飛行場で警備の任務についたところに、やけどを負った人々が逃れてきた。「兵隊さん、水をくれ」と懇願されたが、「やけどには水は悪いで我慢せえ」と応じなかった。勇さんは「水をあげればよかった」と悔やんでいたという。
勇さんは戦後、古里・福井で鉄工所などで勤め、所帯を持った。勇さんは「被爆の影響で若死にするかも」と悩み、長男の佐々木さんも「被爆2世だから白血病になるのでは」と不安にさいなまれた。8月6日はつらい記憶の日だった。
それが変わったのは1993年。涼真さんが予定日から1日遅れの8月6日に産声を上げた。佐々木さんは勇さんと喜びながら「運命がこの日にあるんじゃないか」とささやき合った。その年、かねて知人に勧められていた骨髄提供者(ドナー)登録をした。「(原爆症に多い)白血病患者の助けになろうと思った」からだ。
一方、涼真さんは中学1年だった2006年夏、家族旅行先の広島で、勇さんから初めて詳しい被爆体験を聞いた。「子供を抱いた母親に助けてと言われたが、手を合わせて逃げた」。勇さんの話に衝撃を受けた涼真さんはその夏、「八月六日」と題した作文を書き、優秀作品に選ばれた。
<戦争が終わってから六十一年がたった。祖父は六十一回の八月六日に何を思ってきたのだろうか? うれしくはないだろう。しかし、一日だけうれしい日があったらしい。平成五年の八月六日、初孫が生まれた日、つまりぼくの誕生日だ>
式典で父の横に並んだ涼真さんは「いままで8月6日は複雑な気持ちながらも『自分の誕生日』だった。今日は祖父への感謝の気持ちを込めて祈る日にしたい」と話した。
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