2014年8月12日星期二

「戦友会」遺族が継ぐ 元日本軍将兵ら結成 高齢化で存続困難に

第二次大戦後、元日本軍将兵らが結成した「戦友会」がなくなりつつある。最盛期には全国に数千団体あったとされるが、戦後69年を迎えて会員が高齢化し、存続が困難になっているためだ。会員の多くが90歳を超え、さらなる減少が懸念されるなか、遺族が活動を引き継いで慰霊を続けるケースが目立っている。(池田祥子)  「あと何年寄稿してもらえるか分かりませんが、生の声を伝えるためにも発行を続けたい」  ビルマ(現ミャンマー)での戦闘に赴いた陸軍第53師団歩兵128連隊の戦友会「128ビルマ会」。会員の回想録「鎮魂」の発刊を続けるのは、父を現地の戦闘で亡くした竹崎清吾さん(72)=滋賀県甲賀市=だ。今年5月刊行の冊子で8号を数える。  竹崎さんの父、義三さんは、昭和19年6月にビルマ北部で30歳の若さで戦死した。ビルマ会は大勢の生還者が所属していたが、会員の高齢化が進み平成13年にいったん解散していた。  竹崎さんは、約20年前に滋賀県遺族会のツアーでミャンマー慰霊訪問に参加した際、父とともに戦った戦友会のメンバーと出会った。解散の知らせに、「独身のまま亡くなった戦没者も多い。そういう方々が忘れ去られてはならない」と、他の遺族と運営を引き継ぐ形で活動を再開した。  毎月1回、京都霊山護国神社(京都市東山区)にある慰霊碑前で手を合わせるほか、毎年5月には同神社で慰霊祭を営む。今年の慰霊祭には50人が参加したが、生還者は5人だった。  昨年末には、同じ53師団の戦友会「工兵53会」が生還者の高齢化を理由に解散した。竹崎さんは「遺族も高齢化が進んでいるが、記憶を風化させないためにも慰霊を続けていきたい」と話す。  大戦で最も悲惨な戦闘といわれたインパール作戦に参加した第15師団歩兵60連隊の戦友会「京都祭六〇会」も、一時は2千人が慰霊祭に出席したが、会員の減少で約7年前に解散した。現在は遺族が「千歳碑護持会」として引き継ぎ、月参りなどを行っている。  護持会には今も遺族から、「肉親が死んだ場所が知りたい」「当時の状況が聞きたい」という問い合わせが寄せられるという。遺児で会長の大藪孔一郎さん(72)は「問い合わせも会があってこそ。戦没者の遺志を継ぎ、護持する方法を探りたい」と、さらに若い世代が戦争の記憶を引き継いでくれることを願っている。  ■各地で解散進む  同じ部隊や学校に所属する元将兵らでつくる戦友会の多くは、慰霊碑の建立や慰霊祭の開催など、戦没者を弔う活動を続けている。  京都大大学院人間・環境学研究科の高橋由典教授(社会学)ら「戦友会研究会」の調査によると、昭和30年代半ばから50年代半ばにかけて設立がピークを迎えたが、戦後50年を迎えた平成7年前後から各地で解散が進んだ。  戦後60年に当たる17年に研究会が行った調査では、3625人の戦友会世話人のうち679人から有効回答が得られ、会が「存続している」と答えたのは224人にとどまった。9年が経過した現在は、さらに減少しているとみられる。 timex 時計 fossil 時計 ウィッカ and1 pistolero innovator パトリック スニーカー lavenham wesco onitsuka グレンロイヤル dcshoecousa バッグ ブランド bark dacota メレル mackintosh

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