2014年8月12日星期二
<日航機事故>空のじいじ見守って 22歳「風化させぬ」
1985年の日航ジャンボ機墜落事故で犠牲となった祖父の若本昭司さん(当時50歳)を、孫で大学4年の崚(りょう)さん(22)=神奈川県大和市=は、知らない。だが、母で昭司さんの長女、千穂さん(49)から聞く生前の祖父の姿に思いをはせ、幼いころから事故現場の「御巣鷹(おすたか)の尾根」への慰霊登山を繰り返してきた。29年がたち、遺族の高齢化で事故の風化が懸念されるが、この日も母の手を携えて現場を訪れ「若い世代が受け継ぐ」と誓った。【尾崎修二】
【日航機事故】所有者が特定できない遺品の数々
崚さんにとって慰霊登山は12回目。この日、降りしきる雨の中、母子はずぶぬれになりながら慰霊登山に参加。会ったことはなくても社会人のお手本のように感じてきた祖父の銘標に手を合わせた崚さんは「来年から僕も社会人です。見守ってください」と伝えた。
「空のじいじ」。事故後に生まれた崚さんは、昭司さんをそう呼んできた。小学生のころから家族に連れられて慰霊登山に参加し、日航の安全啓発センターにも毎年、家族に付いて行った。
事故の様子を教わりながら育ち、働き盛りだったころの祖父の思い出話も聞いてきた。出張帰りには毎回お土産を買ってくるような家族思いの人だった。「いつか僕も家庭を持って子供が生まれたら、ここに連れてきたい。その時は“父親同士”として祖父と会話したい」と思っている。
あの日も、昭司さんは東京出張から自宅があった大阪府豊中市への帰路、キャンセル待ちの席を利用し、予定より1本早い便にしたという。千穂さんは「早く家に帰りたかったのでしょう」と言う。
千穂さんは今年5月、母チヨ子さん(77)の事故当時の年齢を超え、夫をこの年齢でなくすことの喪失感の大きさを改めて感じたという。「あまりに早すぎる死。子を残して逝った父の気持ちや、一人で私たち子どもを守ってくれた母の気持ち、どんなふうだったのだろうと思うようになった」
そのチヨ子さんは悪天候でこの日の登山は断念。体力の低下もあり、当時を知る遺族は徐々に尾根に登れなくなっている。崚さんは「これからは僕ら若い世代が事故当時を経験した方々の思いを受け継ぎ、灯籠(とうろう)流しや慰霊登山を続けていきたい」と話した。
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